活動報告(5/2)

なんとなく気になって関連動画を開いた

食後、すぐに何かをし始めたくないような、少し休むべきなような、

急な変化で体に悪影響を及ぼすのではないかとビクつくような

眠いような、そんな感じの時間に、

罪の意識もなく動画を開いて、それが面白かった。

シリーズ物だったので一つみたら他もみたくなった。

面白いからこの動画を見ていたいという、意識以前の感覚に引きずられて動画を見ること、それが予定していなかった行為であること、しかし見たいと思ってみているし、緊急の用事もないのでその行為を中断する理由もないこと、食後の眠さ、暑さによる汗やおそらく運動不足が原因である自身の皮膚の不快感、

 

そういったものに足を取られて2時間3時間経ち、そう言った時間の過ごし方への後悔、しかし見たいから動画を見ていたのだということに関しての折り合いの付いていなさ、今日が予想外に終わること、明日が来ること、明日やらなきゃいけないことがあることの不快感や不安、恐怖など

 

こうしたら良くなるという確信の持てないまま、しかしなんとなくベットから立ち上がって早く買い替えたい硬い椅子に座ってこれを書き始めたこと。

 

その書いた内容、正しさ正しくなさ、実態との乖離、記述する能力、感覚と事実の混同、経験に対しての解釈、言葉の運用の仕方の正しくなさ正しさわからなさ、確信のないまま特定の解釈を書いてしまうこと、それを読んだ人にその内容だけが伝わってしまうのではないかという不安、それを防ぐため仮定形を濫用したい気持ち、それをさせない要因など

 

こんな風に書くと、あたまをかかえて眉間に皺を寄せて、歯を食いしばっている姿が浮かぶ(もしくは浮かばない)が、そんなことはない

ではどんな状態かということについては知らない。

 

 

その動画は面白かった。面白さというか、励まされるというか、自分が褒められているわけではないが自分まで褒められているような気分になるというか、そんな気持ち良さがあった。

 

夕はゲームが楽しかった。

 

辛いので気づかないふりをしているラインがある。そのうち気分が良くなって、その時に応えるだろうと思っていたが、今の所そんなことは起こってない。しかしそろそろ答えなきゃと痛く思っている。被害者意識が芽生えてきて、事態が長引く。不健全になる。迷惑をかける、ストレスを感じさせる。業務を滞らせる。寿命を削る。安眠を妨げる。ごめんなさい。

これはわたしの倫理観、道徳、人間性などにおける問題 嫌われ 社会性 生活能力 

信頼されなさ 離れられ ダメなやつ 罪 性格の問題 「ああいうやついるよな」

そういったものどもにまつわる重大な物事であると、「そういうことに気づくべきである」という感覚がなきにしもあらずというかんじであるが、今は考えたくないので忘れたい。でもそれを謝ってはおきたい。

 

弾き語り配信をした。なんだか落ち着かなかった。PCの黒い画面に映った自身の顔が嫌な感じで、こんな奴から発せられる声なんて、というような気持ちになった。自身の中のおそらくルッキズム的な差別意識が自身に牙をかけた。そうではなく、自身の顔から、自身の今までやってきたことの理想的でなさが想起され、それが気分を悪くしただけというかもしれない。その二つは並列に「これか、もしくはそれだ。」と語るようなものじゃないかもしれない。

そういうもののせいかそのせいじゃなかったかわからないが今日も微妙だった。夢の中で、走ろうとしてもうまく走れないような感じだった。ギターを弾く右手がなんか思い通りじゃなかった。

「思い通りに弾く」ために必要な、「こういう風に弾こう」というような想像などが存在しえないような意識の状態だった。という風な言い方が、その状況を正しく表しているか知らない。そうかもしれないしそうじゃないかもしれないし、そう言う言い方もあるしそうじゃないかもしれない。微妙だったと言うが、問題はそこなのかわからない。何か明確に目的があるわけじゃないなら、問題というものが存在するのかわからない。

 

 

朝、起きたが眠かった。眠ったらおよそ健康とは呼べない量の睡眠時間を計上してしまった。計上って言葉を正しく使ってるか知らない。

 

それがあって、今夜の睡眠をどうするべきか悩んでいる。

理想は日付を回る前に眠ることだが、寝すぎも不健康だと思うし、やはり眠気もなく眠れるかわからない。眠ろうとして結局眠れないという時間を過ごしたくない。

なんかやりたいことをやって、眠くなったら眠るというやり方をやろうとしている。

 

 

今日の文のかき方が、なんかよくないかもしれないと思っている。

短い文をいっぱいつなげる感じが、よくないかもと思っている。

そういう表現をしようと思ったわけではなく、何か考えるでなくなんとなく書いたらそういうものになっていた。でもそれが良いものか知らない。

わざとそういうことをしていると思われたくない。かっこつけてると言われるのを恐る思春期の精神性。

わざとやってるわけじゃないんです許してください。でもそっちの方がもっとまずいかもしれない。「それはじつは自分を守るために無意識に〜」みたいな分析じみたことができるかもしれない。それに自覚的であるようになれるかもしれない。今はそういうことが、結果的に起こらないようなありようであるといいたい。ところでまだ未来のことについて「結果的に」と言うのにはよくない作為性がある気がする。

疲れるので忘れようと思う。

 

そんな1日でした。そんな1日ではなかったですが。

今日もよく書いた!お疲れ様

でも良いものを書こうとがんばったわけでもないから、褒められることが想像できず徒労感でもある。

明日はちょっと頑張れたらいいと思う。「ちょっと頑張れたらいい」というこの時勢ではなおさら似合わないことばが嫌だと思う。

今日もNICEな意味不明さだと言う。

 

 

書きはじめて十分ほど経っていました。気分が変わってしまいました。

このブログは、嘘をつかない代わりに、どんなに理想的でない文章を書いてしまっても構わないと言う自分で自分に勝手に与えた、他の人にはなんら意味のない許しを、何重にも着込んで書いているので、とても楽しく思います。

でもやはりこれを読み返して「これが自分なの」と嫌な気持ちになるのも嫌なので、そのあたりのことに気をつけたいとも思います。でも今は忘れたいと思います。

 

 

曲を作ってみよう曲を作ってみようと思っていたのですが、なんだか億劫だったり他に楽しいことがあってやっていない日々が続いていました。今日「五分だけやる」と決めたらそれを行えそうだと言うことに気づいたので、やってみようとおもいます。

 

同じやり方で、やらなきゃやらなきゃと思っていた運動もやろうと思います。

5分でも嫌なら、1分でいい。そうやって無限に時間を減らす覚悟があるので、少なくとも「運動をする」ということは達成できそうです。でも今更そういうある種子供騙し的なよくあるやり方に頼らざるをえないことには情けなさのようなものも感じます。情けなさを感じるほどの情けがあるのか知りません。自分がそういうやり方を「子供騙し的」などといって見くびっていることが、健全であるかどうかも知りません。

またそういうやり方をやるのは初めてではありません。定期的にその発想に至っている気がします。それもなんだか辛い気がします。そう言うことについては「それについても考えよう」と言うだけ言って忘れ、今日はやってみようと思います。

 

終わります。ありがとうございました。