活動報告(2020/05/1)
今日は豚肉ともやしとピーマンと玉ねぎの炒め物を作りました。食材と入れた調味料の味がしました。なんか奇をてらった言い方をしたかったわけじゃなく、シナジーがないというか、料理してるのにあんまり料理した感がない味というか、そんな感じがして、それを言おうとしたんです。許してください。
なるべく美味しい料理を作ろうとしないと、なんだかそういう徒労感が募る気がするので、次は意気込んで作ってみたいです。
昨日言った通り、弾き語り配信の代わりに練習をしました。好きな曲のコードを耳コピして、原曲を聴いて参考にしながらギターを引いたり、歌ったりしました。うまくはやれなかったです。でもうまくなるために練習というものがあるなら、「うまくやれなかったです」という感想はおかしい気もします。では、上手くなれたかということに関してはどうでしょうか。それについても、あまり意味のありそうなことができた気はしません。練習らしい練習というものがわからず、なんだか困惑して変な時間を過ごしましたが、それでもいままでやらなかったことなので楽しいです。
「こういうことをやりたいな」と思ったり、または言ったりしたことを実際に行うことはめったに起こらないことだったので、できてよかったです。
最近、ツイッターのアカウントの名前を毎日入れ替えています。
前からネット上で使う新しい名前を考えなきゃと思っていたんですが、かんがえるのが面倒だたり、思いつかなかったり、どんな名前にしたものかと無限になやめてしまえそうでおっくうだったので、「適当につけた名前」感のあるものにしてお茶を濁していました。べつに誰が見るわけでもないんですが。
先日「毎日名前を変え続けたら、いずれ良い名前にたどり着くのではないか」ということを思いつき、ランダムに名刺を出力してくれるツールをつかってそれを行なっています。「名前が今日変わらず、明日も変わらないなら、きっと明後日も変わらない。ならば適当でも今日変えてしまおう」といった謎理論を組み上げたのです。
本気でこれがいい考えだと思っているのか、それとも「なんかそういうことやったら面白そう」と思ってニヤニヤしながらやっているのかということについては考えたくないです。決してウケ狙いじゃないんです。奇をてらっているわけでもないんです。許してください。
例えばもし仮に知り合いがその様をみたら、意味不明であると思います。こんな考えに基づいているなんて知る由もないですし、知ったとしても納得されるかわかりません。
だから、こういう行いはよくないことなんじゃないかと思います。好ましいか好ましくないかで言ったら好ましくない。常識的か非常識的かで言ったら非常識的。奇行の類。
どっちかといえば近寄りたくない。そんな声が聞こえてきます。幻聴ではなく、私の中にある場の空気を読む機能みたいなものが、そういった声を生成します。
そんな声が聞こえるので、もちろん僕は今すぐこんなことを辞めたいと思います。
しかし、「どうせ誰も見ないし良いだろう」というような思いが言い訳として機能し、それを止めることを許さないようです。なんかそんな感じです。
「そんなことしたらみんなに嫌われちゃう」に対し「もう僕の周りには誰もいないのになんだってそんなこと気にしなきゃいけないんだろう」と言い返すようなかんじです。
しかしそう言って、自分にだけわかる論理で、自分にだけわかる奇行を繰り返し、
見落としていたひととのつながりや、今後生まれうる他者との関わりを毀損してしまうのはかなしくおもいます。
だから今後は気をつけようと思います。いや、なんかそれはこれだけの話で終わって欲しくないので、まだ「反省し今後気をつけようと思います」のフェイズには移りたくありません。
何を言っているかわからない?良いんです誰が聞くわけでもないんですから。
でも、しかし、私は「こうしたらこう思われるんじゃないか」というためらいで、結局何もしないで時間を過ごしてしまうということが多かったし、今もそれを重ねているような人間であると言ってもまあそんなに間違いがない感じがするので、
それを振り切って何か行えたことには嬉しさを感じもします。
しかし、振り子がふれているだけで、なんだか良い方向に進んでいる気もしません。
普通に、やるべきことややりたいことをやりたいと願いまうす。
パソコンのマウスってネズミに似ているからマウスなのでしょうか。
だとしたらもっとネズミに似せた見てくれのマウスが普及していてもいい気もします。
でも耳をつけたら持ちにくそうですよね。手のひらに二本の線がついて手相が変わっちゃいそうですし。
ところでですが。
疲れたので終わりたいと思います。
活動報告というには散漫すぎると思いますが、
なんか思いついたことだけ書いていけば良いやとも思っています。
初めは、そうやって適当でも良いから続けることを優先するという風にやりたいと思っています。そう表明することがなにかの免罪符になると思っているわけでは決してありません。ゆるしてください。