くこうほうどつか(05/10)
活動報告(05/10) 〜詩を見せ合う!?〜
....続けることが難しい
続けることには意味がある
しかし、何も考えず続けてしまうこともできる
今の所、歯磨きが芸術的に美しい動作になったりはしていない
ただ、それが続けない理由に成り替わることに正しさがあるとも思わない
現実はいつも二つのことを同時に要求してくる
いやべつに要求されたわけじゃないか
とか言いながらブログのページを開きました。
「とか言いながら」という言い回しの、自虐的な感覚が白々しくて鼻につきました。
今日は、「なんかこれって曲の歌詞みたいじゃないか」っておもって書き留めた
それっぽく書かれた文章をここにコピペしてみようと思います。
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何かをしないことが僕の価値になるような考え方は
塞ぎこむ僕を、わざわざ誰かが励ます理由になる何か
それががあるかないかを確かめる
賽を振る手続きを見やすくするための
こそばゆいシリンジ
僕に運がなかった時に
この社会を静かに退場しやすくするための
舗装された道
何かをしろと命じてそれをさせるより
何かをしろと命じないで、それをさせない方が簡単だ
僕の人生は
誰かを傷つけないためのもの
法律を破らないためのもの
何かをしないためのもではなかったはずだ
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苦しい!恥ずかしい!でもそういうことをあえてやっている自分に陶酔もしているかもしれません。
「ドキドキ文芸部」というゲームの中で、詩を書いてそれを見せ合うということが行われていて、それをやってみたいと思ったというのもあります。
これが詩なのかはわかりませんが
しかし内容はどうあれ、誰にも見せないという前提で何か考えたり書いたりしても腐るばかりというか、
誰かに見られうる場所に一度でも置くことが、必要な気がして
だからそれをここで行えたことを嬉しく思います
その嬉しさは別に読む人は関係ないのですが、そういうことを考えることには、今はならなそうです。
書いていて思ったのですが、
自分の行為について「〜というふうになりそうです」とか「〜しようとおもいます」とかひとりで勝手に言って勝手に進む感じが、
なんか誰かに「あっ、はい...」って言われる人って感じがするというか
そういうイメージが浮かんで、それは嫌だってキリキリするというか
そういう不快感に苦しめられているというか
文の進め方は僕自身そのものではなく、僕がこれからも生きて、考えてそれを変えたり、文体に影響を与えている僕のものの見方や考え方、習慣などが変わったりするカモというような自信というか、
今こうやって何か考えている自己が存在しているということについての確信のなさや
もう辛いし書き直すつもりもないので、さっさと切り上げてしまいたいが
しかしそうすると「そういうやつになってしまう」のではないかというような
強迫観念的な気持ちや
そう言ったものがあり苦しいです
こういう苦しさを抱かないように、気を楽に楽に書こうと思っていたのですが
うっかり沼にはまってしまいました
単純に「これからよくしていきてい」と言えばよく
このもやもやには、私にそういうことを言わせる材料という役割名を与えておけばいいとおもいますが
なんだかそれもしょうもないような
しかし時間の経過で結局苦しさが薄れてきたので、終われそうです。
そんなこんなで終わります
ありがとうございました。