活動報告(05/18 月)
義務的にこのページを開きました
本当に、義務として
私の中に、私にこれを書かせるような流れは少しも感じられず
しかし義務で書いてます
本当に嫌だ
でも書き始めたら嫌だ嫌だという気持ちも薄れてきてしまいました
それが悲しくて嫌だ嫌だと言っていた気もします
誰に命じられてるわけでも
僕の信じている宗教にそういう教えがあるわけでもなく
勝手に一人でやっているだけですが
とにかく義務って感じです 無理やりって感じです
書くつもりはなかったです
今日のイベントとしては、Bioshock Infiniteをプレイしたことがまず思い浮かびます。
あと自暴自棄に任せて弾き語りをし(文字にすると嫌な感じがする)
それを配信するなどしていました
この記事を私に書かせているのは
「楽しかったとはいえ、ただBioshock Infiniteをやったってだけでは
ろくに記憶にも残らない、なんだか色の薄い体験になってしまうのではないか」という恐れだとおもいます
感想をかくことで、なんかこう なんか
ましになるというか それが素晴らしい体験だったとより思えそうだというか
誰かが、「あのゲームが面白かった こういうところが最高だった」というふうに話していたりするのを見て、「私もそういう楽しい体験がしたい」と思う。
そういうのがあり、
そして私がいまやったゲームも、ただプレイするのではなく
その感想を述べることで
その私が過去に羨んだ「素晴らしい体験」を自分もしたことになるのではないか
少なくともそれに関しては、自分もそのひとたちと対等な存在であれるのではないか
とても荒い荒い説明ですが、そういう気持ちが大きい気がします
ああ荒い でもいいや よく書いたよ自分
そう言って次の話に進みたかったですが
逆にそういうと気になってきました
でも、今こうして書き進めているなかでそれをやめて、前に戻って
ここはこうした方がわかりやすいかなんて直すのが
なんだかとてもいやというか、やりたくないというか
それもまた辛いというか
そういう二つの辛さに挟まれています
急に今の話してすみません
その話をしていたら
書き直さなきゃってきもちを忘れられたので
書きなおさないで進もうとおもます
Bioshockの感想ですね
楽しかったです
今日はいっぱい死にました
ハードモードなんですが、エイムアシストのような機能がついていて(offにできない)
PS3のコントローラーの、エイムのやりにくさがそれで消えているところもあって
今まで結構楽に進められていたんです。
でもゲームも終盤まで進んできて、同じ被弾数でも被ダメがめちゃくちゃ増えいたり、遮蔽物越しに当たるような武器を敵が使ってくるようになったり、中ボス的なキャラがばんばん出てくるような感があり、たくさん死にました。
やっぱり自分がどこに立っているかが大事だなと思いました。当たり前かもしれないですが、基本遮蔽物に隠れてそこから敵を狙うということの必要性をちゃんと感じられました。
ました
ました
感想を書こうと思ったんですが、
いろんなことがあり
いろんな思ったことがあり
それらがたくさんあり
全てをしらみつぶしに書いていくのは面倒臭く
では何を書いたものか という気持ちになり
なんだか、混乱してきました
トッピクを決めたり、
まず思ったことを整理したり
そういうことを先にする必要性を感じました
「〜する必要性を感じました」と書いた時
「何そんなことで成長ましたみたいな気持ちになってるわけ」という声が聞こえました
幻聴ではなく「そういうことを言われそう」という自動的になされる想像です
そしてそれに対し一人で勝手に返答したくなったので、それを下に記して終わろうと思います
(こういう話のもっていき方は、アクロバティックな気がします)
成長だと論って両手を上げて喜ぶつもりはないです
しかし、ああ最悪だ何やってんだああ と落ち込むこともしないです
ところで、そのどっちつかずな感じがとても落ち着かないです
このどちらかであってくれという感覚が、もしかしたら私の完璧主義的な性格のあり方なのかもしれません。
ところでところで、わたしは「完璧主義」って、
物事を全か無かで極端に考えたり、一つ小さな失敗があったら「ああもう全部ダメだ」と言って自暴自棄になってしまうような、そういう認知の歪み的な要素をさす言葉のつもりで使ったのですが、
この言葉には「貴重面で負けず嫌いなエリートイケメン」みたいなイメージもある気がして、そういうイメージを自分に当てはめていると思われたら嫌だなと思いました。
ところでところでところで、拡散していく話題を「ところで」を重ねることでなんとか繋げようとするということを試みてみました
うまく、できたかな?(上目遣い)
終わります